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2017年09月16日

北風と太陽と北朝鮮

北風と太陽と北朝鮮


「戦争になるのかなー」

それまで戦争なんて起こるわけないと日本の平和を満喫していた僕たちは、いま、北朝鮮の核実験やミサイル発射実験に右往左往させられている。

「大丈夫かなー」

ネットやテレビにアクセスすると不安を煽られるニュースであふれていたりする。
誰よりも楽観的なこの僕でさえ、「対立を対話へ」がキャッチフレーズの自分でさえ、「対話で和平は実現しないのかも」なんて、考えたりする瞬間がたまにあったりなかったり。

でも、やっぱり、そうじゃない。北朝鮮はたぶん、怖がっているだけ。

「自分たちは国際社会の中では小学生。それも頼れる友だちも、家族もがいない。ようするに、ひとりぼっちのみなしごのようなもの。唯一の肉親とも喧嘩別れしたままだし、ちょっと前まで面倒見てくれていた中国もロシアも最近なんだか冷たいし。そんな中、自分たちより背が高くて、体も大きく力が強いアメリカに、『これ以上おまえが強くなったら殺してしまうぞ』と脅されている。どうしたいいんだい。怖くてたまらない。せめて、アメリカが対等に話をしてくれるまで、強くなるしかないのかも。でもなあ、このまま強くなろうとがんばっても、どんどん仲間外れになっていくばかりだし、一人で生きていくなってそもそも人間にはできないし…」

北朝鮮の人の気持ちを想像してみる。
北朝鮮の立場に立って今の世界の状況を眺めてみる。
あの人たちの目に、世界はどう映っているんだろうと。

「自分たちは何も悪いことはしていない。日本の支配から自由になれると思ったら、西と東の争いに巻き込まれて、気づいたら、ひとりぼっちの悪者になっている。相談できる人はどこにもいない」

それが北朝鮮の置かれた立場なのではないだろうか。

「そんなの知ったことじゃない。悪いのは北朝鮮なんだから。あいつらがやってきたこと、やっていることを君はどう考えるんだい?」

そういう声も聞こえてくる。

「悪いのはあいつだ。懲らしめれるしかないんだ」

そうかもしれない。悪いのは僕らじゃなくてあっちかも。

でも、それを言ったところで今の危険な状況を変えられるのか?
正義の名のもとに力でねじ伏せようとすることで、ぼくらは北東アジアの安全を得ることができるんだろうか?

中国の古いことわざに「窮鼠猫を噛む」というのがある。
猫の姿を見ると逃げ回るだけのネズミも、追い詰められて逃げ場を失った時、命を顧みず猫に襲いかかるという意味だ。
英語には”A baited cat may grow as fierce as a lion.”という同じような意味のことわざがるらしい。
追い詰められた猫を獰猛なライオンに変えるのか、生まれつきの自由気ままで愛らしい猫に戻してあげるのか。
今、僕たちはその曲がり角にいる。

イソップの『北風と太陽』。
いま必要なのは38度線を分断する凍てつく氷の分厚い壁を暖かい太陽の力でもって溶かすことではないだろうか。



Posted by 楽しい亜熱帯 at 08:08│Comments(0)peace building
 
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