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2012年05月30日
沖縄のチカラ
手を伸ばせば触れることさえできる小宇宙。星を捕まえることだって文字通りできる、標高0mの暗闇に瞬く煌めき。
蛍を見に大宜味村に行ってきました。うーん、素晴らしかった。末吉公園の、川の流れを聞きながらの蛍見も風流で
とても素晴らしいですけれど、静寂の中で、霊魂さえ漂っていそうな空間での蛍との対話には格別のものがありました。
10年ほど前に二年ほど住まわせてもらっていた村なので、足繁く、夜這でもかけるように遊びにいきたいのですが、
ちょっとした、でも大きく深い理由があって、なかなか訪れることができませんでした。
しばらくぶりに・・・2003年以来初めて再開した村の先輩は、なかなかどうして相変わらずのさりげないウエルカム。
「気にしなくていいさー」と温かい言葉をかけてくれました。おまけに、友人の大五郎君には今や幻となった青空放牧豚の
アグー(本物の黒いアグーです)をご馳走になりました。その脂身の旨いこと。根が淡白で草食系のぼくとしては肉を
食べるのはそう頻繁にはないのですが、大五郎のあぐーは本当に旨い。
溶けるような脂を頬張ると悔し涙さえ出てくるのです。それは何で彼が今、養豚を断念しなければならない
状況にいるのかがまったくもって理解でないから。戦後間もなくハワイから送られて豚の話に惚れ込んで、
沖縄の豚を独学し、ついにアグーを育てるようなったこの男。
こんなに地道に懸命に土と糞尿にまみれながらほぼ一人でアグーの健全肥育に取り組んできた奴が、
こんな理不尽ともいえる状況にいることにどうしても納得がいかないのです。
そんな気持ちを抱いたのは去年の11月。そしてなんとかしたい(勝手にですけど)と動き始めたのがこの2月。
http://semitropic.ti-da.net/e3356987.html
仕事の忙しさにかまけてしばらくの放置が続いたのち、さすがにそろそろ動かなきゃと思わせてくれた蛍の夜に感謝です。
そして、というか、たまたまごぞごそしていたら、以前消え行こうとしているものについて
書いたブログがみつかりましたのです。よかったらお読みください。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
2008年12月29日
沖縄と深い縁を持つ人はたくさんいます。
その中でも柳宗悦さんと勝公彦さんの存在を忘れることはできません。
戦前の日本に沖縄の工芸の素晴らしさを伝えた柳宗悦さん。民芸運動で知られた人です。
彼の優しいまなざしは、占領下の朝鮮半島にも向けられました。
http://www.mingeikan.or.jp/html/yanagi-soetsu.html
芭蕉紙を復興させた勝公彦さん。楮などの和紙の代表的な原料に乏しかった沖縄では芭蕉布の生産工程から出る余剰物を有効利用して琉球紙を作っていたようです。いったん途絶えてしまったこの紙を復興させたのが勝さんです。今芭蕉紙は安慶名清さんが引き継いでいます。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-110002-storytopic-86.html
言うまでもありませんが、おそらく何人もの無名の人が影に日向に、柳さんと勝さんを支えきました。
そして今や、沖縄は手仕事の島として世界的な注目を集めるまでになっています。
そして今も、多くの無名の人たちが手仕事の世界を支えています。
ものづくりをあきらめる個人や社会が多い中、私たちが誇れる何ものかがこの地に息づいています。
民芸礼賛、手仕事礼賛。
時代は今、やっと追いついてきたようです。
何本もの指が動いています。そして、そのほとんどは名前を知られることもなく消えて行きます。
途絶えてしまった技術や文化を蘇らせることは非常に困難で、時に不可能です。
それは自然の場合と同じです。
多くの手が、指が、今日も動いている沖縄は、とても貴重な存在なのです。
触れられてこそ いのち膨らむ 蕾かな
手が紡ぎだす音楽をより多くの方と楽しみたい。
そしてそのハーモニーをいつまでも忘れずにいたい。
蛍を見に大宜味村に行ってきました。うーん、素晴らしかった。末吉公園の、川の流れを聞きながらの蛍見も風流で
とても素晴らしいですけれど、静寂の中で、霊魂さえ漂っていそうな空間での蛍との対話には格別のものがありました。
10年ほど前に二年ほど住まわせてもらっていた村なので、足繁く、夜這でもかけるように遊びにいきたいのですが、
ちょっとした、でも大きく深い理由があって、なかなか訪れることができませんでした。
しばらくぶりに・・・2003年以来初めて再開した村の先輩は、なかなかどうして相変わらずのさりげないウエルカム。
「気にしなくていいさー」と温かい言葉をかけてくれました。おまけに、友人の大五郎君には今や幻となった青空放牧豚の
アグー(本物の黒いアグーです)をご馳走になりました。その脂身の旨いこと。根が淡白で草食系のぼくとしては肉を
食べるのはそう頻繁にはないのですが、大五郎のあぐーは本当に旨い。
溶けるような脂を頬張ると悔し涙さえ出てくるのです。それは何で彼が今、養豚を断念しなければならない
状況にいるのかがまったくもって理解でないから。戦後間もなくハワイから送られて豚の話に惚れ込んで、
沖縄の豚を独学し、ついにアグーを育てるようなったこの男。
こんなに地道に懸命に土と糞尿にまみれながらほぼ一人でアグーの健全肥育に取り組んできた奴が、
こんな理不尽ともいえる状況にいることにどうしても納得がいかないのです。
そんな気持ちを抱いたのは去年の11月。そしてなんとかしたい(勝手にですけど)と動き始めたのがこの2月。
http://semitropic.ti-da.net/e3356987.html
仕事の忙しさにかまけてしばらくの放置が続いたのち、さすがにそろそろ動かなきゃと思わせてくれた蛍の夜に感謝です。
そして、というか、たまたまごぞごそしていたら、以前消え行こうとしているものについて
書いたブログがみつかりましたのです。よかったらお読みください。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
2008年12月29日
沖縄と深い縁を持つ人はたくさんいます。
その中でも柳宗悦さんと勝公彦さんの存在を忘れることはできません。
戦前の日本に沖縄の工芸の素晴らしさを伝えた柳宗悦さん。民芸運動で知られた人です。
彼の優しいまなざしは、占領下の朝鮮半島にも向けられました。
http://www.mingeikan.or.jp/html/yanagi-soetsu.html
芭蕉紙を復興させた勝公彦さん。楮などの和紙の代表的な原料に乏しかった沖縄では芭蕉布の生産工程から出る余剰物を有効利用して琉球紙を作っていたようです。いったん途絶えてしまったこの紙を復興させたのが勝さんです。今芭蕉紙は安慶名清さんが引き継いでいます。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-110002-storytopic-86.html
言うまでもありませんが、おそらく何人もの無名の人が影に日向に、柳さんと勝さんを支えきました。
そして今や、沖縄は手仕事の島として世界的な注目を集めるまでになっています。
そして今も、多くの無名の人たちが手仕事の世界を支えています。
ものづくりをあきらめる個人や社会が多い中、私たちが誇れる何ものかがこの地に息づいています。
民芸礼賛、手仕事礼賛。
時代は今、やっと追いついてきたようです。
何本もの指が動いています。そして、そのほとんどは名前を知られることもなく消えて行きます。
途絶えてしまった技術や文化を蘇らせることは非常に困難で、時に不可能です。
それは自然の場合と同じです。
多くの手が、指が、今日も動いている沖縄は、とても貴重な存在なのです。
触れられてこそ いのち膨らむ 蕾かな
手が紡ぎだす音楽をより多くの方と楽しみたい。
そしてそのハーモニーをいつまでも忘れずにいたい。
Posted by 楽しい亜熱帯 at 09:38│Comments(2)
この記事へのコメント
コメントではなく私信です。
過日はなつかしい日々をおもいだし
た、ありがとう。
さて、明日はムシバライ、アブシバレー。おぼえてますか、今日はそのための浜掃除。終わった後は決まってうたいなおし。かの先輩も一緒でしたが、過日の再会をとてもよろこんどりました。しかも、もっと空手の話がしたいとも、住み直す?なら、応援するとも。
とりあえず、また、一緒にきたらいいよ。
過日はなつかしい日々をおもいだし
た、ありがとう。
さて、明日はムシバライ、アブシバレー。おぼえてますか、今日はそのための浜掃除。終わった後は決まってうたいなおし。かの先輩も一緒でしたが、過日の再会をとてもよろこんどりました。しかも、もっと空手の話がしたいとも、住み直す?なら、応援するとも。
とりあえず、また、一緒にきたらいいよ。
Posted by 大五郎 at 2012年06月01日 20:09
大ちゃん、どうもありがとう。アブシバレー、もちろん覚えているよ。一度も晴れたことがなくいつも班長の家だった。また遊びにいかせてもらうよ。
Posted by 楽しい亜熱帯 at 2012年06月22日 21:45