2011年08月10日
島豚と現実感〜35歳の原点 #10
身辺整理をしていたら、琉球新報に掲載されていた7年前の「落ち穂」が出てきたので読み返してみた。幾分センチメンタルなきらいがあるこのエッセーは、内地からの移住者の目に映る沖縄の魅力や将来自分のこどもや孫たちに言っておきたいことが書かれているようで、習い事と直接的な接点はないものの、つながるところもあるように思えるので少し紹介させていただきます。
東京周辺でのサラリーマン生活を経て沖縄にやってきた著者はこのとき30代の半ばだったように記憶しています。
第十回目はアグーとリアリティについてのお話。原文のまま引用させていただきます。
画像:大宜味村喜如嘉のオクラレルカ。
「島豚と現実感」
触れると硬い。ひと昔前の歯ブラシのような感触。硬さを別にすれば、それは、長い歳月を生きてきた老人の髪の毛のようにも見える。
泥にまみれて、犬のように駆け回っては立ち止まり、啼きながら摺り寄って来て、甘えに来る。すぐに飽きて、向こうの方にさっさといなくなってしまう。サシグサが大好きで、柵越しに手を入れると美味しそうに食べる。その辺の犬よりずっと可愛い。でも、食べると美味しい。だから、昔は当たり前のように、沖縄の家々に飼われていた。美味しい。だから人間の餌として運命づけられている。美味しくなければ今の世の中、コンパニオンアニマルとして有名だったかも知れない。人間にとっての幸福が彼らにとっては不幸である。だから、食べる時には彼らの笑顔に感謝しないと罰が当たる。
彼らは、人間が食べない葉っぱや、野菜くずや、いもくずや、残飯を美味しい食べ物に変えてしまう。日本も含めたアジアでは、つい最近までトイレの下に飼われてきたそうだ。東南アジアや中国の田舎では今でもそうだという。
先日、沖縄在来の島豚の血を継ぐ、黒い豚を飼っている友人の養豚場を訪れた。養豚場といっても、屋根のあるスペースはほんのわずかで、ほとんどは放し飼いのための広場。愛嬌のある声をふりまきながら走り回っていた。那覇の子どもたちも別の日に遊びに来たそうだ。普段はスライスされた肉片でしか直接目にすることのない豚を見て、彼らは何を感じただろう。
食に限らず、ものや生命が生まれる現場、あるいは命が消えゆく現場が、日常からどんどん遠ざかっている。モノが生まれる場、生命が育まれる場。生命を殺めること。命が尽きるということ。それらが日常の中にあたりまえにあった日々を僕も知らない。でもなぜか懐かしい。リアリティに飢えている。リアルな体験は健やかな精神を育むという。
内地の人間が沖縄に感じる魅力の一つは、普通の生活にかろうじて残る現実感なのかも知れない。豚と遊んだ数日後、友人の豚肉を食べてそう思った。
東京周辺でのサラリーマン生活を経て沖縄にやってきた著者はこのとき30代の半ばだったように記憶しています。
第十回目はアグーとリアリティについてのお話。原文のまま引用させていただきます。
画像:大宜味村喜如嘉のオクラレルカ。
「島豚と現実感」
触れると硬い。ひと昔前の歯ブラシのような感触。硬さを別にすれば、それは、長い歳月を生きてきた老人の髪の毛のようにも見える。
泥にまみれて、犬のように駆け回っては立ち止まり、啼きながら摺り寄って来て、甘えに来る。すぐに飽きて、向こうの方にさっさといなくなってしまう。サシグサが大好きで、柵越しに手を入れると美味しそうに食べる。その辺の犬よりずっと可愛い。でも、食べると美味しい。だから、昔は当たり前のように、沖縄の家々に飼われていた。美味しい。だから人間の餌として運命づけられている。美味しくなければ今の世の中、コンパニオンアニマルとして有名だったかも知れない。人間にとっての幸福が彼らにとっては不幸である。だから、食べる時には彼らの笑顔に感謝しないと罰が当たる。
彼らは、人間が食べない葉っぱや、野菜くずや、いもくずや、残飯を美味しい食べ物に変えてしまう。日本も含めたアジアでは、つい最近までトイレの下に飼われてきたそうだ。東南アジアや中国の田舎では今でもそうだという。
先日、沖縄在来の島豚の血を継ぐ、黒い豚を飼っている友人の養豚場を訪れた。養豚場といっても、屋根のあるスペースはほんのわずかで、ほとんどは放し飼いのための広場。愛嬌のある声をふりまきながら走り回っていた。那覇の子どもたちも別の日に遊びに来たそうだ。普段はスライスされた肉片でしか直接目にすることのない豚を見て、彼らは何を感じただろう。
食に限らず、ものや生命が生まれる現場、あるいは命が消えゆく現場が、日常からどんどん遠ざかっている。モノが生まれる場、生命が育まれる場。生命を殺めること。命が尽きるということ。それらが日常の中にあたりまえにあった日々を僕も知らない。でもなぜか懐かしい。リアリティに飢えている。リアルな体験は健やかな精神を育むという。
内地の人間が沖縄に感じる魅力の一つは、普通の生活にかろうじて残る現実感なのかも知れない。豚と遊んだ数日後、友人の豚肉を食べてそう思った。
Posted by 楽しい亜熱帯 at 05:56│Comments(2)
│35歳の原点
この記事へのコメント
すっごいすてき。いいわ。
Posted by enzo at 2011年08月10日 07:08
若くないけど今から見れば若かりし頃のつたなさがちょっと草っぽい感じです。
Posted by 楽しい亜熱帯 at 2011年08月13日 22:31