2011年08月08日
沖縄の海と川の夏休み〜35歳の原点 #8
ひと昔前の自分と向き合うのは気恥ずかしい。
それが自分で書いた文章を通してであるならなおさらのこと。
今日から始まる、シリーズ『35歳の原点』は、2003年の夏から冬にかけて琉球新報の
「落ち穂」に連載した、沖縄移住者のエッセーです。
いまから振り返っても人生最大の奈落の底から這い上がり、這い上がるのにちょっと疲れて
また埋没し、再び陽のあたる世界に戻るきっかけになった僕にとって思い入れの深いエッセーがこのシリーズ。
多分にセンチメンタルで、「オイオイいい加減にしろよ、おまえ35だろ!」って言われそうなくらいの青臭い
ロマンティズムが充満していますから、人によっては吐き気を催すかも知れません。
なので、青臭いのが苦手な方は素通りしたほうがいいでしょう。
どうしてもという方は是非お読み下さい。

「沖縄の海と川の夏休み」
海は、浮いているだけでも楽しい。沖縄の海ならなおさら心地がよい。生きものたちの気配があり、人を包み込む何かがそこにあるから。春から夏にかけてはまた、格別で、たとえば、海亀が、ほんの鼻先に、なんとも言えない面持ちで顔を出したりすると、親しい友人がわざわ
ざ自分を訪ねてきてくれた時のように、懐かしく、嬉しい気持ちになれる。「やぁ久しぶり」と声をかけたくなる。ミジュンか何かの小魚の群れが、横からの朝の光を受け、銀色にきらめきながら、勢いよく水面から飛び出して、どこかに向かっているのを眺めることもできる。
黒潮でつながっている同じ海で、同じようにサーフィンをしているのに、得れるものが多くて大きいのが沖縄の海。そういう話しを、昔の海を知っている島の人に話す。たいていの人には鼻であしらわれる。昔の海はこんものじゃなかったと。 山の中では鳥の声を聞いているだけで、風のうたを聴いているだけで幸せな気持になれる。沖縄の夏は暑い。東京の熱帯夜に慣れている人間でも、沖縄の昼間に照りつける太陽にはお手上げだ。そんな日に、那覇の小学生と大保川まで沢歩きに行った。もうすぐダムの底に沈むその川で、こどもたちは唇が紫色
になっているのに気付かずに、水の中で奇声を上げてはしゃいでいる。初めて目にする琉球ヨシノボリと原始時代から来たような玉虫色で緑に輝くとんぼたち。先客の親子はタナガー捕りに夢中になっている。お父さんは大きなものを捕まえていて、まだ小学校に上がらないくらいのこどもが、誇らし気な視線で僕らを出迎える。疑似体験では味わえない、至福のひとときを過ごしたに違いがない。
沖縄の川には宝物がまだ残されている。滝つぼや、炭焼き場の跡。つつじの花や、芽吹いたばかりの椎の木やら。静かにそこの場所に根を降ろしている。人間の社会とは別の時間が流れている。それでも、敬意をもって訪れる人間を大きな懐で包み込んでくれる。
沖縄の自然には宝物が残されている。まだ、今は。昔話にしたくない夏休みを、また、今年も無事に過ごすことができた。
それが自分で書いた文章を通してであるならなおさらのこと。
今日から始まる、シリーズ『35歳の原点』は、2003年の夏から冬にかけて琉球新報の
「落ち穂」に連載した、沖縄移住者のエッセーです。
いまから振り返っても人生最大の奈落の底から這い上がり、這い上がるのにちょっと疲れて
また埋没し、再び陽のあたる世界に戻るきっかけになった僕にとって思い入れの深いエッセーがこのシリーズ。
多分にセンチメンタルで、「オイオイいい加減にしろよ、おまえ35だろ!」って言われそうなくらいの青臭い
ロマンティズムが充満していますから、人によっては吐き気を催すかも知れません。
なので、青臭いのが苦手な方は素通りしたほうがいいでしょう。
どうしてもという方は是非お読み下さい。
「沖縄の海と川の夏休み」
海は、浮いているだけでも楽しい。沖縄の海ならなおさら心地がよい。生きものたちの気配があり、人を包み込む何かがそこにあるから。春から夏にかけてはまた、格別で、たとえば、海亀が、ほんの鼻先に、なんとも言えない面持ちで顔を出したりすると、親しい友人がわざわ
ざ自分を訪ねてきてくれた時のように、懐かしく、嬉しい気持ちになれる。「やぁ久しぶり」と声をかけたくなる。ミジュンか何かの小魚の群れが、横からの朝の光を受け、銀色にきらめきながら、勢いよく水面から飛び出して、どこかに向かっているのを眺めることもできる。
黒潮でつながっている同じ海で、同じようにサーフィンをしているのに、得れるものが多くて大きいのが沖縄の海。そういう話しを、昔の海を知っている島の人に話す。たいていの人には鼻であしらわれる。昔の海はこんものじゃなかったと。 山の中では鳥の声を聞いているだけで、風のうたを聴いているだけで幸せな気持になれる。沖縄の夏は暑い。東京の熱帯夜に慣れている人間でも、沖縄の昼間に照りつける太陽にはお手上げだ。そんな日に、那覇の小学生と大保川まで沢歩きに行った。もうすぐダムの底に沈むその川で、こどもたちは唇が紫色
になっているのに気付かずに、水の中で奇声を上げてはしゃいでいる。初めて目にする琉球ヨシノボリと原始時代から来たような玉虫色で緑に輝くとんぼたち。先客の親子はタナガー捕りに夢中になっている。お父さんは大きなものを捕まえていて、まだ小学校に上がらないくらいのこどもが、誇らし気な視線で僕らを出迎える。疑似体験では味わえない、至福のひとときを過ごしたに違いがない。
沖縄の川には宝物がまだ残されている。滝つぼや、炭焼き場の跡。つつじの花や、芽吹いたばかりの椎の木やら。静かにそこの場所に根を降ろしている。人間の社会とは別の時間が流れている。それでも、敬意をもって訪れる人間を大きな懐で包み込んでくれる。
沖縄の自然には宝物が残されている。まだ、今は。昔話にしたくない夏休みを、また、今年も無事に過ごすことができた。
Posted by 楽しい亜熱帯 at 06:22│Comments(0)
│35歳の原点