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2011年08月05日

想像力〜35歳の原点 #5

ひと昔前の自分と向き合うのは気恥ずかしい。
それが自分で書いた文章を通してであるならなおさらのこと。
今日から始まる、シリーズ『35歳の原点』は、2003年の夏から冬にかけて琉球新報の
「落ち穂」に連載した、沖縄移住者のエッセーです。
いまから振り返っても人生最大の奈落の底から這い上がり、這い上がるのにちょっと疲れて
また埋没し、再び陽のあたる世界に戻るきっかけになった僕にとって思い入れの深いエッセーがこのシリーズ。
多分にセンチメンタルで、「オイオイいい加減にしろよ、おまえ35だろ!」って言われそうなくらいの青臭い
ロマンティズムが充満していますから、人によっては吐き気を催すかも知れません。
なので、青臭いのが苦手な方は素通りしたほうがいいでしょう。
どうしてもという方は是非お読み下さい。




想像力〜35歳の原点 #5

画像:熊本市の通町付近を走るチンチン電車=路面電車。
今年で87歳の大正13年生まれ。
帰省した際にはなるべく乗るようにしています。



「想像力」



 日本人外交官がイラクで殺害された。そのニュースをラジオで聞いた時、ジャン・リュック・ゴダールの「気狂いピエロ」という映画を思い出した。

 映画の中でアンナ・カリーナは、「今日の死者の数は・・・」というベトナム戦争の報道を聞いて、「無名って恐ろしいわね。ゲリラが何人戦死したというだけでは何もわからないわ。一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子どもがいたのか?芝居より映画のほうが好きだったのか?まるでわからない。ただ百十五人戦死というだけ」と語った。

 なじみを感じられない情報や刺激は多くの人にとって電話番号のような記号でしかない。その一方で、記号からそれ以上のものを読みる人がいる。

 ある人が、大切な肉親を亡くす。自分の身に起こった不幸ではない。その人が自分にとってなじみのある人か、面識がなくても、二人の間に何か共通するものがあれば、自分の悲しみとして、それを共有しようとするだろう。なじみ感と想像力はお互いに足りないものを補完しあう。

 最近まで、想像力が豊かであることは、文化的で芸術的な感性が豊かなことだと思っていた。小説を読んだり、音楽を聴いたり、自然の所作に美を見出したり、工芸品を愛しんだり、絵を描いたり、物を作ったり。日常生活で生じることや、社会や世界で起きる出来事とはあまり関係がないものだと思っていた。子どもの頃、祖母が口癖のように言っていた「思いやり」という言葉と、想像力は別の世界のものことだと思っていた。

 他人の悲しみに「同情」する時。他人の逆境を自分のこととして受け止めようとする時。自分の車の前をゆっくり走っているドライバーにイライラする時。豚肉を食べる時。今の自分よりも若くして、南洋の海にの藻くずと消えた祖父のことに思いをはせる時。犬やイルカや草木の声にならない言葉を探る時。意見や価値観の違いを乗り越える時。文化や宗教や政治の溝をうめる時。想像力は生活の色々な場面で人間の行動に影響する。

 数日後のラジオでは、ジョン・レノンが「イマジン」を歌っていた。 
 








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Posted by 楽しい亜熱帯 at 07:16│Comments(0)35歳の原点
 
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