2012年07月07日
腹を切ること自由になること、 三島由紀夫と若者たち
『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』をたったいま、桜坂劇場で観終えました。
とてもとても複雑な気分。
なぜってここは沖縄だし、慰霊の日からたったの二週間だし。
何よりぼくは痛いのは嫌いだし、制服も、規律も、ストイックさも苦手だから。
タルコフスキーとかカラックスの映画を観る頭で観た映画ではないので、
映画の出来映えの善し悪しはさておくとしても、
感想をこういう場で、世間に対して公言するのがはばかれる映画でした。
こんな気分は反捕鯨の立場で撮られた『The Cove : ザ・コーヴ』以来。
http://semitropic.ti-da.net/e3112370.html
でもひと言だけ、感想を。
ご存知の通りぼくはどう見ても右の人には見えないはずだけれども、
文化的にはじつは結構右よりなところもあり、しかも、プラグマティストというよりは
心情派だし、どちらかといえば甘ったるいロマンティストなので、正直言うと
恥ずかしながら、割腹シーンでは頬を濡らしてしまいました。
でも、三島氏が当時温めていた思想とか、主義とか、計画とかそれらはどちらかというと、
ぼくにはそれほど重要なことではないのです。
むしろそれはぼくにとっても思慮に欠けた現実味のない夢想であるように思えるくらい。
でも、ぼくは彼のとった行動が、市ヶ谷の自衛隊で、しらける自衛官たちを前に
ぶったあの大演説が、ずっと心のどこかに引っかかっていたんです。
NHKのドキュメンタリー番組で、その場面をじはじめて観たのは高校生の頃だったはずだけど
ずっと、ほっとけるものではなかったのです。
自身をそこまで追いつめた、彼の心の奥にあったはずのもの。
どう見ても無謀で勝ち目のない「戦い」と自覚していながらもやり遂げざるをえなかった追いつめられた義の心。
自衛隊や世間の嘲笑さえ混じった冷ややかな反応と引き換えに、差出さざるを得なかった二つの生命。
三島事件は日本がどうあるべきかの主義や思想の文脈で捉えるものではなく、
常識とは何かの視点とか、マイノリティとマジョリティの視点で見るものだと、
映画を観ながら思いました。
当時は古くさくて汗臭いものだった日本らしさとか武士道に
時代錯誤も甚だしいほどこだわっていたマイノリティ=異端者。
それを「気違い」とか常識はずれのひと言で片付けようとする世間というマジョリティ。
正気さとか正常さという仮面をかぶった常識とか世間というものは、
いつの時代も枠からはみ出たもの、はみ出ようとするものにとても冷たい。
そして自分たちこそ正しいと信じて疑わない数の論理。
その常識とか世間とかいうやつは、実は自分の腹の中にも住み着いている。
文壇で成功を収め、ノーベル文学賞候補にもなった三島自身、自分の中にある
常識的なものとずっと戦いもがいていたのかもしれない。
そしてついに三島は腹を切ることで、自らの中の醜いものから自由になろうとしたのかもしれない。
腹を切ることでしか自分を美しい存在として生きることができないと気付いたのかもしれない。
映画を観て思ったのはそういうことです。
観賞後にググってみたWikipediaには東京新聞の記者が感じたことが次のようにが紹介されていました。
〜その一方、釈放された益田総監が自衛官達の前に姿を現し、
「ご迷惑かけたが私はこの通り元気だ。心配しないでほしい」
と左手を高く振って挨拶すると、自衛官達から、
「いーぞ、いーぞ」、「よーし、がんばった」
などの声援が上がり、拍手が湧いたという。
その場で取材していた東京新聞の記者は、
その光景になんともがまんできなかったという。
「三島の自決に対する追悼ではもちろんない。
民主主義に挑戦した三島らの行動を非難し、
平和国家の軍隊に徹するという決意の拍手でもない。
いってみれば、暴漢の監禁から脱出してきた“社長”へのねぎらいであり、
サラリーマンの団結心といったところだろうか。
残された隊員へ、マイクで指示が出た。
『みなさんは勤務に服してください。どうぞ、そうしてください』と哀願調、
隊員はいっこうに立ち去りそうもない。
(中略)
はからずも露呈した自衛隊のサラリーマン的結束と無秩序状態」などと書いた。〜
Posted by 楽しい亜熱帯 at 21:08│Comments(0)
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